ときどき考える、ときどき日記

アラサー社畜(会社員)がこれからの人生について考えたり、日記を書いています

かわいくないマインドとわたしたち

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日曜日、学生時代の友達の結婚式に行ってきた。天気も良く暖かい日になり、気持ちのいい青空がガラス張りのチャペルから一望できた。

 
新婦側の友人として出席したのはわたしを含めて4人。2人が既婚でわたしたもう1人が独身だ。
既婚の友達の1人は自営の夫が開店休業状態だといい、もう1人は結婚に伴う転居で退職したまま専業主婦を続けているそうだ。独身の友達は毎日ほぼ終電で帰る忙しい日を過ごしているとのこと。
いつも一緒に遊んでいたとは思えないくらい、それぞれの生活を送っている。ミスドのカフェオレで延々おしゃべりしていた頃のわたしたちはもういないのだ。

披露宴中、新郎新婦の職場の方のスピーチを聞きながら、今回結婚した友達が、わたしたちの中では一番、一般的な価値観でいう「幸せ」に近いのではないかと、考えていた。他人の幸せを相対的に判断して見積もるなんて、大変失礼な話だと思う。でも、学生時代の新婦はそういう「幸せ」を得ることを辞退しているように見えていたのだ。人並みの幸せや、人が賞賛する幸せを得ることを。だから、学生時代に知り合ったとはいえ、大企業に務める高所得な新郎と1年前に入籍し、これから数ヶ月後に子どもが生まれるような人になるとは思っていなかった。結婚式お決まりのブーケトスもケーキバイトもキャンドルサービスも花嫁から両親への手紙も、すべて嫌がり、一切しなかった彼女だ。わたしにはそんな意外すぎる彼女の人生が嬉しくもあり、眩しくもあった。

わたしたちは学生時代、少し特殊な環境の学校に通っていたこともあり、いじめには遭遇しなかった。もともと変わった人が多いクラスだったので、特別いじめられたり、仲間はずれにされる人もおらず、クラス替えもなかったので、年数が経つごとにクラスの仲も良くなっていった。
だからいわゆるスクールカーストも、普通の高校生が受けるものよりもかなり優しかったと思う。女子は派手か地味か、かわいいかかわいくないか、ぐらいの印象だ。派手も地味も、かわいいもかわいくないも、お互いを尊重できて、仲も良かったと思う。
学校全体で見ると男女比が7:3くらいで女子のほうが断然少ない、そんな学校で、かわいい・かわいくない分類は表立っては見えないものの、ずっとつきまとっていたと思う。文化祭のミスコンに出てくれと懇願されたり、次々とクラスメイトや先輩から付き合ってほしいと言われる子たち。先述のとおり、いじめに遭遇したことはないし、わたしも顔が不細工だと面と向かって揶揄されたことは、確かないはずだ。ただ、声をかけられることもなかった。それだけだ。

結婚式に参加している他の友達も、もちろん彼氏がいた人もいれば、付き合ってくれと言い寄られた子もいた。でも、普段の生活から受ける印象で、自分が「かわいくない」に属していることを理解していた。少なくともわたしはそうだった。友達と「⚪︎⚪︎ちゃんはかわいいもんね〜」とかわいい側の話をすることはあったけれど、自分たちがかわいい・かわいくないと話し合うことはなかった。

披露宴が終わり、2次会には披露宴に招待仕切れなかった同僚や友人が大勢集まった。誰が来るのか聞いていなかったので、思いがけず学生時代の友達数名と数年ぶりの再会もでき、嬉しかった。
2次会の後半にようやく新婦と話すことができて、ブーケトスその他をやらなかったことを「あなたらしいね」とわたしが言い、笑い合った。
会場を見渡しながら新婦と話していると、2次会から参加した学生時代の女友達2人が、新郎側の男性参加者たちに熱心に話しかけられているのを見て、新婦が「2人とも結婚して子どもまでいるのに、知らないからかわいそうだよね」と苦笑した。話しかけられている2人は、学生時代から特に男の子に人気のあるかわいい子たちだった。新婦の発言を聞いた新郎も「あー、あいつら独身だわ…」と呟いた。学生時代から飛び出して何年経っても、立ち位置なんて変わらない。そういう意味ではどこの世界へ行っても、かわいい子は有り難いままなのだと、苛つくでも落ち込むでもなく、わたしは深く納得した。

お腹に子どものいる新婦以外は皆順調にるひお酒が進み、そのノリで近くのダイニングバーで3次会となった。この頃には新郎新婦に近しい友人・同僚だけが残り、わたしは友達と一緒に新郎新婦、新郎の友人らと同じテーブルに着いた。
打ち解けた雰囲気で皆で話していると、新婦が2次会で見かけた場面の話を持ち出した。「結婚してる子だと知らないのはしょうがないけど、かわいいからってガツガツ話しかけてて、とことん残念だったよね」
新郎も話しかけていた当人もいるというのに、気まずくなることを一切恐れず、自分の言いたいことを言う。マイペースなあまり見ているこちらがハラハラする、新婦のそういうところは今も変わらなかった。たぶん同じことを思っていただろう周囲も、笑ったり頷いたりで空気も悪くならず、新婦のその姿を見てわたしのアウェー感もぐっと小さくなった。

しばらくし話していると、男性の1人が「メガネをかけた女の子が好きだ」と言い出した。その場にいる女子は誰もメガネをかけていなかったが、普段メガネをかけている新婦が「それはかわいい子がメガネをかけているのが好きなんだよ」と即座にツッコミを入れた。
「いや、女の子がメガネかけたら大体かわいいじゃん、ポイント高いよ」と相手も引き下がらなかったが、既婚の友達が不服そうな顔ですかさず援護射撃した。「ブスメガネとか、ポイントにならないし」
この発言、友達ながら本当に驚いた。ブスメガネはポイントにならない。一般的なことを言っているようで、自らのメガネ姿を完全否定している。そして「ブスメガネ」という思い切りのある言葉…「卑屈すぎるだろ!」と思った瞬間、隣の男性からも同じ声があがった。
でも、わかる。わかってしまう。事実としてかわいいか否かなんて関係ない。先回りして「かわいくない」言ってしまえば、それ以上踏み込まれないし、傷つかない。かわいいと褒められてきた人は進んで「ブスメガネ」なんて言わない。たぶんわたしもメガネをかけていたら、同じように予防線を張るだろう。

わたしたちはお互いの「かわいくないこと」についてこれまで話すことはなかったけれど、同じ学生時代を過ごし、同じように周囲と触れ合って、それぞれに大小あれど、かわいくないマインドを形成していた。髪型や洋服や持ち物を褒め合うことはあっても、顔立ちにはほとんど触れない。その間にもかわいい子が有り難がられる場面に幾度となく遭遇し、地道にコツコツと、かわいくないマインドを守ってきたのだと思う。
一体いつまで、わたしたちはかわいくないマインドを守っていく気なのだろうか。披露宴の最中、お色直しで深みのある真紅のドレスに着替えた新婦は、本当に綺麗だった。「綺麗だね」と声を掛けたら、呆れたように鼻で笑われた。彼女らしいリアクションではあるけど、少し傷ついた。

そんな新婦からブーケを貰った。「ブーケトスは絶対床に落ちるから嫌だ」と言ったのに、人にあげてしまうのが意外だった。受け取った自分も少し意外だった。固辞したい気持ちもあった。けれどブーケを受け取ることで、ジンクス通りにわたしに見合った幸せを得ることができるのなら、素直に手を伸ばしたいと思ったからだ。それでも口から出る一言は、「向こう50年は結婚なんて無いよ」という、かわいくないマインド全開。やめられるなら、早くやめたい。

スニーカー、始めました

以前、スニーカーが欲しくて、はてなにおねだりする記事を書いたことある。 

 

プレゼントの当選なんてそんなにうまい話になるはずもなく、それでもスニーカー欲しい熱が冷めなかったため、先月上旬にこちらを購入。

  

 

わたしが買った商品は写真のブルーではなくて、ホワイト系。でもこのブルーも店頭で見て、とても綺麗な色だった。あとはマスタード色も、ソールがターコイズ系で一見難しそうだけど、履いてみると意外と馴染むし、こなれた感じになった。

黒はわたしの選択肢に無かったが、リンク先のモデルさんが履いているのを見てもスタイリッシュな雰囲気。当然、色ものよりも合わせやすい。

結局「白なら真夏に履くのも良さそうですね」という、いつもの店員さんの一言でホワイト系を購入。

 

ホワイト系はソール以外ホワイトとライトグレーで統一されているため、すっきりした印象で、手持ちの服に合わせやすい。この春は明るい色の服を好んでよく着ているので、足元だけ重い印象にならなくて気に入っている。主にタイトスカートに合わせることが多い。

 

以来、気に入って休みの日はほとんどこのスニーカーで外出している。当たり前のことだが、それまで5cm程度のヒールのあるパンプスばかりを履いていたわたしは、歩きやすさや足の疲労のなさに驚愕した。また、直後に買ったトレンチコートとも相性が良くて嬉しい。

ただ、スニーカーを日常履いていなさすぎて、濡れた地面等でとても滑ることにも驚いている。何かすべりにくくする方法はないものか、というか、スニーカーを履いていた高校時代はこんなに滑っていたのか?と記憶を辿るけれど、まったく思い出せない。

 

スニーカー、やはりファッションの系統に合わせることを考えると沢山欲しいとは思わない。でも、圧倒的な履きやすさは実感できた。スリッポンなんかも気になってしまうが、次買うなら秋かなと思っているところ。

 

今週のお題特別編「この春に始めたいこと・始めたこと」

〈春のブログキャンペーン 第2週〉

口に出して披露しないこと

嘘をつくのが苦手だ。嘘が苦手というよりも、その後を取り繕うのが苦手というべきかもしれない。たぶん同じ理由でお世辞も上手くない。嘘と言い切らないにしても、誰の目からも好ましい態度でその場を乗り切るスキルというのは社会人にとって大切なことだとはわかっているけれど、社会に出て何年も経った今でも、そういうことが下手だと思う。

好きな男の子の話ばかりをするような中学生時代から随分経っても、好きな異性のタイプを聞かれる機会は意外と多い。会社の飲み会なんかは最たる例だ。なぜ自分の好きな異性のタイプをおじさんたちに尋ねられて披露しなくてはならないのか…披露した内容を、わたし自身とともに値踏みされなければならないのかと思うけれど、同じような話題を友達と話しているとき、テレビで芸能人が「年収5000万無いと付き合いたくない」と発言しているのを見たときの自分も、無意識に発言者と発言内容を照らし合わせているという意味では口に出さなくても会社のおじさんたちと大して変わらないことをしている。

つまりわたしは好きな異性のタイプを尋ねられたとき、「嘘はつきたくないけど値踏みされたくない」という気持ちが強く働くのだが、それとは別に、「頭のおかしな人だと思われたくない」という意識もとても強く働いている。過去に同じ話題で話していて会社の女性社員数名から「何それ…意味がわからない」とドン引きされたことがあるからだ。皆、口には出して言わなかったが、明らかに「頭のおかしなかわいそうな子」の目でわたしを見ていた。その反応で、「わたしの価値観は世間と大きくずれているのかもしれない」と悟ることができた。

ここまで前置きしたのでドン引きされた価値観を書き、いっそこの記事を読まれた方にアンケートでも取りたい、という気持ちで勇気を出して披露したい。

当時、お昼を食べながら女性社員たちと好きな異性の体型の話をしていた。ある先輩は大きくて体の厚みのある、いわゆる「ガタイのいい」人が好きだと言った。「あのドラマに出ているあの役の人が好きなんだよね〜熊みたいな感じで」と言うのを聞いて「背が高くて肩幅あって筋肉ついてるとスーツも着映えするよね〜」と賛同する声もあがった。
すると先輩から「アラサー社蓄さんはどうなの?」と訊かれたので、こう答えた。「わたしは背の高さにこだわりはないけど、どちらかといえば細身な人が好きです。洋服が綺麗に着られるし…それにガタイのいい筋肉質な人は、ボコボコにされそうになったとき、逃げ切れないだろうし」
発言した後、皆の顔に?マークが浮かんでいた。「え?マッチョな人なら街でケンカになったとき体張って守ってくれるかもしれないでしょ?」と言われて、ハッと気がついた。わたしと皆の中で、戦う相手が違うことを。
「いや、街でケンカに遭遇したときの話ではなくて、わたしと彼氏がケンカになったとき、わたしが鈍器でも持っていればギリギリ勝てそうな人がいいんです。スポーツが得意で背が高くて筋肉質な人だと勝ち目無さそうだし、自分よりかなり重たい人だとマウント取られたらもう負けるじゃないですか。自分より10kg重かったら大体勝てないって何かで読んだことありますよ」苦笑しながらここまで言ってから、また周囲の表情が凍りついているのに気がついた。わたし、何か間違ったことを言ってしまっただろうか。

少しの沈黙を破るように「えっ!?何で彼氏と戦う前提なの!?」「アラサー社蓄さん、どうしたの??」と方々から言われてしまい、ようやく自分の発想がマイノリティーなのだと気付いた。ちなみに過去に男の人と戦ったことはないし、ボコボコにされたこともない。子どもの頃、父が母を殴るところは何度か見たことはあるし、わたし自身親に殴られたことも何度となくあり、その家庭内での行為が許されるかは別だが、ボコボコという感じではないので、DVや虐待だとは思っていない。
でも、圧倒的に暴力が怖い、という自覚だけはある。痛いのが嫌いだ。健全なスポーツだとわかっていても格闘技を見るのが好きじゃないのも、そのせいだ。
もちろん、運動が不得意でガリガリな人がわたしをボコボコにする可能性だって十分にあることもわかっている。それでも自分がそのへんの鈍器を持って立ち向かえば勝てるかもしれない、と思うのだ。わたしは平均的な女性よりも無駄に身長も体重もあるが、身体能力は平均以下であるため、本当に無駄なのだ。
しかし、あくまで好きな異性のタイプ、なので実際にお付き合いする人が細身であるとは限らない。最近お付き合いしていた人も、細身〜普通くらいの見た目だったが、長身なのでわたしよりも10kgくらい重かった。音信不通がちで戦うどころか会うこと自体少なかったけど、戦ったらきっと負ける相手だった。

結局この会話は「たぶん、あなたをボコボコにしようとするよりも、あなたを守ろうとしてくれる人のほうが多いと思うよ」という先輩の一言に周囲が同調する形で終わりになった。本当にそうなのかは分からないし、その一言で自分の価値観が変わったというつもりもないけど、以来好きな異性の体型について話題になったときにはボコボコにされるかも云々と言うのをやめている。こんな話を記事にしたくなったのは、三代目J Soul Brothersをテレビで見たときに「一番背の高い人が好きだ」と先輩が言っていたのを思い出したせいだった。利害関係にならなければ、お互い理解することもしてもらうことも困難だと推測できることは、口に出して披露しないほうが良い。