ときどき考える、ときどき日記

アラサー社畜(会社員)がこれからの人生について考えたり、日記を書いています

夏の逡巡

お盆の少し前、17年ぶりに海へ行った。

水着になることを毛嫌いして人生の半分以上を海に入らず過ごしていたわたしをも、海は大きく受け止めてくれた。青く透き通るという言葉とは程遠い、深い緑と茶色を混ぜたような海の色。胸のあたりまで浸かる区域が思った以上に続いていく遠浅の海の中を歩いた。

日差しは強烈なのに海水に浸かっているうちに肌寒く感じ、踏み出すたび足もとの砂はずしっと沈み、進路とは逆方向へと波に体を揺らされた。海は大きく受け止めてくれたようでいて、実際は手のひら(ではないけれど)で転がされているだけだ。いや、泳がされているだけだ。そう気づいたら急に恐ろしくなって浜辺のほうへ戻りたくなった。

どこに行っても怖がりな自分に出会う。

 

そしてお盆休み中、久しぶりに合コンのような飲み会へも参加した。

「結婚式のサクラのバイトみたいな感じで、お金を払えば男の人が彼氏のふりをして一緒に出掛けてくれたりしないでしょうかね。触ったり触られたりはしなくていいし、本当にふりでいいので」と最近考えている密かな願望を先輩に伝えたところ、「そんなことにお金を使う前にわたしの男友達を紹介するからデートしてきなさい」と呆れながら心配されたのがきっかけだった。

そういう飲み会へ初めて行ったのも2年ほど前で、そろそろ20代も終わりそうだけど、今回で人生3回目だった。いろいろと配慮してもらいながらこんなことを言うのはよくないけれど、やっぱり苦手だ。人数が多い飲み会も疲れるけれど、4人しかいないうち2人が初対面という状態だとずっと緊張し続けてしまう。「敬語を使わなくていい」と言われても急にそんなに打ち解けられないし、7〜8歳も年上の人にタメ口で話せるわけがない。過去の恋愛について訊かれても困るが、それでも人並みを装って話さなければ余計に詮索されてしまうので気が抜けない。

こんな風に綴っていると苦痛でしかないみたいだが、そうではない。先方は2人ともお酒は強くて、ノリはいいけど調子に乗りすぎず、終始紳士的で良い人たちだった。そこそこ楽しかったし、今までで一番良い会だったと思う。それでも苦さを感じるのは、自分の問題である。どういう振る舞いが好ましいのか、どんな話が出来たらいいのか、全然分からない。「全然分からない」と思いながら参加していることに、だんだん負い目を感じてくるのだ。先方のどちらかが気になるとか、気に入られたいとかいうよりも、せめてお互い楽しくその場を共有できるようにしたいのに、そういう空気を提供出来ている気がしないので焦ってくる。結局自分のことしか考えていない。

2軒目、3軒目とはしごして飲んでいたら「まったくモテないと言うけど、すごく魅力的なのにね」と急に言われて驚いた。

「だってそりゃ控えめそうに見えても、本当は自分が痛い目や怖い目に遭わないようにってことばかり考えているだけで、きちんと向き合ってないことに気づくのが遅いからです。あと、そういうお世辞をさらっと言える人には未来永劫なれないと思うので、敵わないです」

そう返答できるはずもなく、ちょっと困った顔で「そうですかね、ありがとうございます」とお茶を濁すだけだった。

 

この日一番心に残ったのは、3軒目のお店のマスターに言われた言葉。

「いろんな人がいるところへ出歩くと、見られることに慣れてもっと洗練されてくるよ。これから年齢を重ねていくと、40歳くらいでも同世代で若く見える人なんてほんの一握りになる。そういう人たちは自分が見られることを普段から意識しているから洗練されていたり、若々しくてきらっとしているんだよ」と教えてもらったことだった。

いろんな人がいるところへ出歩くのはきっと苦手だけど、洗練されたいし、若々しさが欲しいし、きらっとしたい。となると、やっぱりやってみるしかないのかもしれない。