ときどき考える、ときどき日記

アラサー社畜(会社員)がこれからの人生について考えたり、日記を書いています

春を感じるとき

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4月に入りまだ数日だけど、暖かい日が続き、お花見に行くこともできて、存分に春を感じている。


春といえば、新しい生活や新しい環境に身を置くタイミングだ。わたしも今の会社に2年前の4月に入社した。今の会社は年に数回人事異動があるけれど、4月はチームや組織の再編も含めて必ず異動が発表されている。
今年の4月も例外なく人事異動が発表されたわけだが、わたし自身や、わたしが所属する最小単位のチームには異動がなかったものの、衝撃が走るようなものもあった。

どんな異動であれ、会社員として会社に所属している間は拒否するという選択肢は、ほぼない。わたしたちはピースであり、パーツであり、駒だ。同じ異動を言い渡されたときにわたしが辞めることしか選ばないだろうと想像するのは、わたしが独身で、扶養する家族がいないからだ。返済しなければならないお金もないからだ。

今回の異動について、普段からついつい軽口を叩いてしまう直属の上司に「会社、迷走してると思いませんか?」と話を振ってみた。「そんなことを言うな」と怒られるかもしれないと少し思いながら、それでも口にしてしまうのはわたしの良くないところだろう。
でも上司は怒ることもなく、冷静に「俺に言わせれば、迷走ではないな」と返されたので、不思議に思って「じゃあ、迷走じゃなくて何ですか?」と質問した。すると少しいたずらっぽく笑いながら、「迷走じゃなくて、逆走だな。全力でゴールから逆走してる」と言った。逆走してもいいのはマリオカートだけなのにな…と残念になった。


上司との残念な会話の数時間後、社内の別部署への異動が決まった人を含めて数人で話していて、ふと「こうやって話すのももう最後だね」と言われて、別に遠くへ転勤するわけでもないし同じフロアにいるのに何を言っているんだろう、という気持ちと、でも少し寂しく思っている自分に気づいて、何とも言えない気持ちになった。
すかさずわたしは「何でそんな寂しいこと言うんですか?そんなふうに言ってわたしたちの心を揺さぶってどうするつもりですか?」と苦笑まじりに言った。
すると「そんなことじゃ、揺さぶられないでしょ」異動する本人から言われてしまった。言い返したくなったわたしはまた、苦笑した。

そんなことでは、わたしの心は揺さぶられないーその評価は、いまのわたしに対する社内の人たちからのありのままの評価だ。
残念な会話をしていた上司といい、わたしには人を選んで好き勝手なことを言うところがある。筋の通らないことを言っていないつもりだが、相手を選んで会社の批判にも近いことを言ったりもするし、業務上正しくないと思えば意見したりもする。面白くない駄洒落を言われたら「面白くない」と言って笑わなかったりする。
あくまでそれらはわたしと決められた相手の間でのやりとりだが、それを見ているまわりの人間は「口が悪い」「本当に気が強い」と評価していくのだ。

自分では感情的な人間だという自覚はあるけれど、気が強いというよりどちらかといえば臆病なほうで、頼りにしていた人が人事異動で今より距離を感じる部署に異動になれば、「寂しい」という感情が巻き起こるタイプだと思っている。
まわりが思っているわたしへの評価は「わたし」じゃないーでもわたしが思っている「わたし」を表に出していかない限り、「本当のわたしをわかってくれる」なんて都合のいいことは起こらない。そもそも「本当のわたし」なんてものは無く、口が悪くて気が強いところも自分なのだと受け入れるしかない。他人が受けるイメージと自分の持つイメージが等しくなっていけば、少しは言い返したい瞬間も減っていくかもしれない。


「日本の風習の良いところは、新年を迎えるときと、新年度を迎えるときの、年に2回新しい気持ちに切り替えられるところです」という、ある上司の新年の挨拶を思い出した。「か弱いわたし」をセルフプロデュースしたい気持ちはないけれど、「強い女」キャラを演じたい気持ちも、元来微塵もないのだ。新年度を迎えるタイミングで、気持ちも他人に映る自分も、もう少し意識して切り替えてみようか。


今週のお題特別編「春を感じるとき」