ときどき考える、ときどき日記

アラサー社畜(会社員)がこれからの人生について考えたり、日記を書いています

隣に誰かいないと綺麗じゃない

なかなかに目の覚めるような一言をもらったので、そのままタイトルにした。

仕事中のことだった。社内であまり集中しないで良い作業をしていたときのことだ。
一緒に作業をしていたのは3歳上の男性社員で、わたしは彼のことを話し易い人だと思っている。過剰になりすぎない程度に周囲への配慮が行き届いた人で、そういうところを尊敬している。また、奥さんを娘さんを溺愛しているところにも好感を持っている。

そういう人と社内のことや互いのプライベートの近況をゆるく話しながら作業を進めていて、もうすぐ結婚式を挙げる友人たち(二人とも同僚)の話になった。その会話の流れで、
「アラサーさんは結婚式しないの?」
と投げられた。その口調には嫌味やセクハラといった“他意”を感じさせない何かがあった。と思うのはわたしが基本的に彼に対して好意的に思っているからなのかもしれないが、とにかく「得な人だなぁ」と思わされてしまう。

「予定は全然ないですね」
「したいと思う?」
結婚を?結婚式を?
訊き返すか迷いかけたときに自分の中に最近まであった願望を思い出した。
「まず予定がないですけど、ドレスを着たいという願望はあって。でも今も大したことがないのに、この先どんどん容姿は衰えていって…いつドレスを着られるかわからないから、最近『ひとり結婚式』みたいなドレスを着て写真を撮るサービスがあるの、わかります?あれをやっておこうかなと思ったりはしました。調べたら結構な金額なので諦めつきましたけど」
言ってしまった。ドン引きされるか呆れられてしまうか、それとも笑われるだろうか。内心どう思われたのかはわからないが、わたしの目に見えた反応はそのうちのどれでもなかった。

「うーん。それはたとえ何歳であっても、隣に誰かいないと綺麗じゃないと思うけど」
言われた内容を理解できたときの感覚は、ぬるいお湯を急に頭から被せられたような感じで(そんな機会はないけれど)、攻撃性は感じない。ただただ、衝撃に打たれた。わたしにそんな発想は一切無かった。
「そっかぁ、そんなふうに考えたことなかったです」
ぼんやりして何のひねりもない、思考を濾過し忘れたみたいな言葉しか、わたしの口からは出ていかなかった。

今まで何度か結婚式で新婦の晴れ姿を見てきて、当たり前のように「綺麗だな」と思ってきたけれど、それは隣に新郎がいたからなのか。
誰かと生きていく幸せを得て、そういう満ち足りた気持ちに裏打ちされた美しさなのかもしれないと、言われて確かに気がついた。

でも、何だか悔しかった。
リア充」の言葉すら知らない健全さと、日常の言動から認識せざるをえないまっとうさを持っていて、家には素敵な家族がいる。見ないようにしているけどわたしとはとても差がある。その人が高いところにいて、わたしが低いところにいるというよりも、「ちょっと羨ましい」と思う要素を揃えているという、差。そんな人に指摘されて、揃えたい要素が手元に揃わない事実を改めて突きつけられた気持ちになった。これはただの僻みだ。

わたしがドレスを着飾って満足して得る幸せは、わたしだけで完結するものだと納得していたし、そういうサービスを受けている人たちを知って「したいことをしている」自立した印象を持った。だから憧れたのだと思う。
でも現実には、他人からの一言で、自分とは違う物の見方を示されただけで、憧れは別のところにあったことを思い知らされた。

いまのわたしが実現できる「綺麗」は自分だけのものだと思っていたのに、結局他人から承認されたかったのかもしれない。自覚すると自分の願望がひどくつまらないものに思えてきて、虚しかった。