ときどき考える、ときどき日記

アラサー社畜(会社員)がこれからの人生について考えたり、日記を書いています

服の福(2015年 春編)

過去にも記事を書いたが、服を買うことが好きだ。

限られた予算で気に入った服や靴を買うこと自体が、自分の幸福に繋がっている、と思っている。

 

 

しかし、衣替えシーズンを迎えるにあたり、毎回クローゼットをひっくり返しては「そういえばこれあったなー」とか「まだこれ持ってたんだ・・・」とかという気持ちに遭遇する。つまり、持っている服(=処分していなかった服)の把握がしきれていない。

わたしにおける衣替えとは、季節外になりゆく服とこれから迎える季節の服について、普段使うチェストとクローゼットに眠る衣装ケース間での移動を意味している。この行為こそが無駄!というハウツー本もあることは知っているけれど、昔からの習慣で何となくそれを続けてしまっている。

 

3年前の初秋から翌年の春にかけて、わたしの服飾費は過去最低レベルだった。

新卒で入社した会社を辞め、アルバイトをしながら勉強をしていた頃。時給800円でのフルタイム勤務がどれくらいの収入になり、生活レベルになるのかを思い知ったのだった。通勤する為の交通費すら赤字のため、服どころではなかった。実家暮らしでなかったらと、いま思うと恐ろしい。もちろん服はほとんど買えず、買ってもユニクロや大学生向けのショップで価格を抑えた。また、前年にウール地のコートを新調していた自分を褒めたい気持ちになったりもした。

悲惨な時期を抜け出していまの会社で働くようになってからは、買う数を減らして、なるべく長く着られる服を選ぶようにしている。2シーズン以上着ることを考えるとデザインも素材も価格にまずまず見合っていると思うし、購入する店舗が絞られてくると買った服同士合わせやすくなったと思う。パンツの購入を止め、気に入ったスカートのシルエットもある程度定まってきたせいもあるかもしれない。

ちなみに、「買う数を減らして」と書いたものの、それまでの反動もあり貯金もそこそこに買い物を楽しんでいることは言うまでもない。

 

しかし、現在転職&上京を目指しているわたしにとって、それを諦めない限り、また服飾費冬の時代が来ることは避けられそうもない。ゆるい実家暮らしからの転換を考えただけで目の前が真っ暗になるが、それでもその先の生活を手に入れたいのだ。

 というわけで、今ある服や靴により愛着を持つために、購入時期ごとに記録をつけたいと思う。題して「服の福」。

今回は今年の4月末に購入したもの。臨時収入があったため、ここぞとばかりに買った。

  • green label relaxing ライトグレーのセットアップ

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仕事用。淡色のセットアップを持っていなかった&長く着回しているスーツの傷みが気になってきたので新調。生地は吸湿・速乾性に優れているそうで、薄くて涼しい。

残念ながら商品はどこも売り切れのようで、詳細情報は表示不可だった。白は今年気になって例年より買ってしまう。フラワーモチーフのレースが美しい。たしか1万円前後だった気がする。

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肩から下がレース素材に切り替えになっている、紺色の半端袖ブラウス。シンプルなシルエットながら、丈が短めなのが今年らしい感じ。さすがに総レーススカートとは合わせないけど、手持ちのスカートは割と何でも合いそう。しかしまだ着ていない・・・ので、あと1ヶ月の間になるべく着たい。

  • POOL SIDE 異素材ミックスパンプス

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グレーのセットアップにはプレーンなブラックパンプスが重すぎるため、購入。仕事用の靴はブラックのみというつまらない暗黙のルールが鎮座している社内で「一応黒です」という顔で履く。細かいラメの混ざった生地とレザー素材の混合で軽さが出ている。ちなみにリンク先の色違い(ベージュ×紺)がかわいすぎて嫉妬する。中敷きのクッションが厚めで疲れにくいのも良い。

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この画像でこのパンプスの素晴らしさが全く伝わらないのがもどかしい。とても柔らかいレザーと4cmのウェッジソールで歩行性が抜群に良い。何よりかかとの部分にメタリック装飾が施されていて、シンプル過ぎない華やかさが心憎い。憎いどころか大変気に入っている。難を言えば秋には履けない色味に思えるところだろうか。

 

お気づきだと思うが、ほとんど同じお店で服を買う。靴はサイズの豊富さと歩行性、持ちの良さから、銀座かねまつ系列で買うようにしている。上京するともっと歩くことになるので、今よりもっと靴を傷めないように歩けないとダメかもしれない。

今回は以上。好きなものを思い返してまとめるとやはり幸せな気分になる。

今後の目標は自宅で洗える服を選ぶようにすること。転職でき次第、服飾費の余裕は減っていきそうだが、購入時には記録を続けていきたい。

「私以外私じゃないの」を聞きながら

 最近は毎日Podcastのラジオを聞いているので、めっきり音楽を聞いていなかったが、ゲスの極み乙女。の「私以外私じゃないの」がとても好きになり、繰り返し聞いている。コカコーラのCMで耳にしている方も多いはず。

 

 


ゲスの極み乙女。 - 私以外私じゃないの - YouTube

曲のイントロでキーボードメインの凛としたメロディが鳴ったと思ったら、一転してバンドサウンドになるところもインパクトが強い。

そこから繋がる、いわゆるAメロ・Bメロは早口で何を言っているのが聞き取りづらいが、その歌詞がとても良かった。

冴えない顔で泣いちゃった夜を重ねて

絶え間のない暮らしを今日も重ねた

良くなりそうな明日に期待する度に

何度も今日を鏡台の裏に隠した

自分の生きる世界への期待と失望の混在する表現が切なくて、ついつい転職活動中の自分自身に重ねて聞いてしまう。

 

そしてやはりサビの部分の歌詞がこの曲の本質なのだろうと思う。

私以外私じゃないの

当たり前だけどね

だから報われない気持ちも整理して

生きていたいの

普通でしょう?

誰かに憧れることもあるけれど、誰も自分以外になれない。誰も自分になり替わることはできない。ごくごく当然のことを歌っている。

でも普段の生活でその「当然」を強く意識することはないので、つい忘れて傲慢な考えを持ってしまう。

例えば、誰かに対して「共感してほしい」とか「理解してほしい」と思う気持ちを持つことは、相手の意向に関わらないところにあるのだから、本来報われなくても当然で、逆を言えば相手の意思を「共感できる」「理解できる」と思うことも、ある程度救いになる要素はあっても、完璧なものではない、とか。

 

そういう見えない気持ちのやりとりが浮かんだのと同時に、また自分の現状に重ねてしまった。退職時期のメドを立てるべく直属の上司に相談をしたけど、突き放されたことを思い出したのだ。

そのときは「何でわかってくれないのだ」と、怒りと悔しさと悲しさで混乱したが、「私以外私じゃないの」を聞いているうちに「理解してもらえなくても当然だし、自分の思う方向に進む以外の選択肢はない」と妙に背中を押された気持ちになった。そこでまた少し気持ちにもやのかかった部分がふっ切れたので、逆に上司に感謝したくすらなった。

 

転職活動のほうは、そんなにたくさん応募していないうちから書類選考落ちが続き、改めて現実の厳しさに苦く感じているところだ。

社会に自分のやりたい仕事が好ましい待遇で用意されていること自体貴重で、さらにそういう貴重な仕事の求人があるからといって、自分がその枠を得られるとは限らない。当たり前のことだ。

でも諦める必要はまだ感じていない。

 

ちなみに、すでにネット上でも話題になっているが「私以外私じゃないの」とサカナクションの「夜の踊り子」のPVは共通項がいくつかあって、どちらも見ると楽しい。


サカナクション - 夜の踊り子(MUSIC VIDEO) - YouTube

 

「夜の踊り子」も背中を押される曲。というか、サカナクションのシングル曲は背中を押してくれる曲が多い気がする。大好きだけど最近聞いていなかったから、これから聞いて、背中を押されたい。

雨宮まみ 著 「東京を生きる」

 

 

東京を生きる

東京を生きる

 

 

 

 

東京が好きだ。復元された東京駅のように西洋風の近代建築もあれば瀟洒な美しい商業ビルもあって、お洒落な人たちであふれて見えて、海外からやってきた新しいグルメもあり、最先端技術やアイデアの発信地だと言わんばかりのユニークな展示物やサービスがある。地下鉄もJRも、数分間隔でホームに滑り込んで来るから待つことがない。
 
日本のメディアは、特に在京キー局のテレビの放送は、東京という土地に憧れるようにできていると思う。
毎日朝と昼と夜まで、情報番組で東京の新しいお店やスイーツや会社員の様子まで放送している。
年に数回東京へ行くわたしも、もう何年も行っていない人たちも、行ったことのない人でさえも、同じ情報を一旦受け止め、「行ってみたいねぇ」だの「食べたい」だの「こんなのちっとも美味しそうじゃない」だの「値段が高い」だのと発信元には聞こえない言葉を好き勝手に口にする。
発信元はあくまで「こんなところもあるし、こんなものもあるというお知らせ」のように発信しているけれど、見ているうちに「羨望しろ」と言われているような気になってくるのは、穿った見方なのかもしれない。
 
わたしは雨宮まみさんの文章が好きだ。著作を数冊持ち、Webの連載の更新をチェックしている程度だけど、とても好きだ。美しくて、誰かを執拗に攻撃しない、むしろ読んでいるうちにだんだん守られているような気持ちになってくる文章だ。個人的には書店の女性向けの自己啓発コーナーに置かれるような本よりも、よっぽど日常でふと見つかる、感情のささくれのようなものが和らいでくると思う。
 
その最たる例が、ココロニプロロ内の連載「穴の底でお待ちしています」だ。

cocoloni.jp

誰にも言えない、けれど誰かに言いたい、そんな内緒の悩みやモヤモヤ、しょうもないグチからやりきれないつらさまで、穴を掘ってこっそり叫んでみたい気持ちを発散する、「感情の吹きだまり」……。そんな場所がこのコーナーです。あなたのやるせない気持ちを、安心してブチまけてみませんか? 雨宮まみが聞き手をつとめます。長文の投稿歓迎いたします。
 
相談者のどうしようもなく手の着けようのない、でも辛くて救いを求めたくて切実な悩みに、毎回雨宮さんは真摯に寄り添っている。投稿された文章も大抵長文だが、雨宮さんのコメントもかなりの長文だ。もう、圧巻。投稿したのは自分ではないはずなのに、いつのまにか雨宮さんのコメント内の相談者が自分と重なって、iPhoneを見つめる視界が涙で歪んでくる。結論は、優しいの一言。そういえば以前ほとんど同じことをツイートしていた。

 

その雨宮さんの新刊が今日全国発売となった。

タイトルは「東京を生きる」。

福岡県出身で、大学進学時に上京してから東京で生活している雨宮さんの、小説のようなエッセイだ。Amazonの紹介にも「私小説エッセイ」とあるので、分類としてはエッセイなのだろう。

 

しかし、読み始めるとわたしの思う「エッセイ」のジャンルではなかった。エッセイというと何となくのほほんとしたり、くすっと笑いを誘ったり、感情の起伏を日常の風景とともに綴られたもののイメージがある。けれど、この「東京を生きる」には、日常の風景や感情の起伏よりも強い、緊張感と孤独を感じた。

 

例えるならまるで、東京で生きることの希望や絶望、憧れと諦めを生地によく練りこんで、伸ばして、焼き上げると切った断面が幾層にもなるように膨らんだパイ生地のようだ。

孤独や不安や焦燥を甘めに味付けしたクリームに混ぜて、パイ生地に挟んで、煌びやかさや刺激で飾られてできたミルフィーユみたいだと思った。
美味しいけれど、複雑な味がして、簡単には材料が分からない。自分の知らない、材料の分からない複雑な味がするからこそ、美味しいような気がする。
そういうデザートを食べたときと同じ気持ちになった。宝石のように美しくて、食べるととても美味しいけど、1ピースの価格が近所のケーキ屋さんと倍以上違う、自分には不相応かもと思わされるデザートを食べたとき、に似ている。
 
 
今回「東京を生きる」の発売を記念して、期間限定ブログが設けられている。
また、質問にも答えて頂けるとのこと。

 

憧れの方とコミュニケーションを取れるなら、多少の恥はかき捨て!のモットーで生きているので、早速質問させて頂いた。

期間限定ブログのほうで全ての質問に回答されているようで、ここへの引用は控えるがわたしの質問にも回答頂いて嬉しかった。

 

最後に唐突だが、上にツイートの通り、最近上京を目指して転職活動を始めた。

まだ始めたばかりで書類審査の結果すら届かない状態だが、今回こそは諦めたくない。新卒のときに一度諦めたことをこの先も引きずりたくはないし、「できなかったんだよね」ともう自嘲したくもない。そうそう上手くは転ばないかもしれないけれど、当面、諦めずに活動する意思表示としたい。