「私以外私じゃないの」を聞きながら
最近は毎日Podcastのラジオを聞いているので、めっきり音楽を聞いていなかったが、ゲスの極み乙女。の「私以外私じゃないの」がとても好きになり、繰り返し聞いている。コカコーラのCMで耳にしている方も多いはず。
ゲスの極み乙女。 - 私以外私じゃないの - YouTube
曲のイントロでキーボードメインの凛としたメロディが鳴ったと思ったら、一転してバンドサウンドになるところもインパクトが強い。
そこから繋がる、いわゆるAメロ・Bメロは早口で何を言っているのが聞き取りづらいが、その歌詞がとても良かった。
冴えない顔で泣いちゃった夜を重ねて
絶え間のない暮らしを今日も重ねた
良くなりそうな明日に期待する度に
何度も今日を鏡台の裏に隠した
自分の生きる世界への期待と失望の混在する表現が切なくて、ついつい転職活動中の自分自身に重ねて聞いてしまう。
そしてやはりサビの部分の歌詞がこの曲の本質なのだろうと思う。
私以外私じゃないの
当たり前だけどね
だから報われない気持ちも整理して
生きていたいの
普通でしょう?
誰かに憧れることもあるけれど、誰も自分以外になれない。誰も自分になり替わることはできない。ごくごく当然のことを歌っている。
でも普段の生活でその「当然」を強く意識することはないので、つい忘れて傲慢な考えを持ってしまう。
例えば、誰かに対して「共感してほしい」とか「理解してほしい」と思う気持ちを持つことは、相手の意向に関わらないところにあるのだから、本来報われなくても当然で、逆を言えば相手の意思を「共感できる」「理解できる」と思うことも、ある程度救いになる要素はあっても、完璧なものではない、とか。
そういう見えない気持ちのやりとりが浮かんだのと同時に、また自分の現状に重ねてしまった。退職時期のメドを立てるべく直属の上司に相談をしたけど、突き放されたことを思い出したのだ。
そのときは「何でわかってくれないのだ」と、怒りと悔しさと悲しさで混乱したが、「私以外私じゃないの」を聞いているうちに「理解してもらえなくても当然だし、自分の思う方向に進む以外の選択肢はない」と妙に背中を押された気持ちになった。そこでまた少し気持ちにもやのかかった部分がふっ切れたので、逆に上司に感謝したくすらなった。
転職活動のほうは、そんなにたくさん応募していないうちから書類選考落ちが続き、改めて現実の厳しさに苦く感じているところだ。
社会に自分のやりたい仕事が好ましい待遇で用意されていること自体貴重で、さらにそういう貴重な仕事の求人があるからといって、自分がその枠を得られるとは限らない。当たり前のことだ。
でも諦める必要はまだ感じていない。
ちなみに、すでにネット上でも話題になっているが「私以外私じゃないの」とサカナクションの「夜の踊り子」のPVは共通項がいくつかあって、どちらも見ると楽しい。
サカナクション - 夜の踊り子(MUSIC VIDEO) - YouTube
「夜の踊り子」も背中を押される曲。というか、サカナクションのシングル曲は背中を押してくれる曲が多い気がする。大好きだけど最近聞いていなかったから、これから聞いて、背中を押されたい。