ときどき考える、ときどき日記

アラサー社畜(会社員)がこれからの人生について考えたり、日記を書いています

自分に貼り紙をしておきたくなるとき

週末の出来事だった。22時を過ぎた駅前で、残業後のぐったりした気分のわたしは家路を急いでいた。強くも弱くもない鬱陶しい雨が降る中、傘を差して横断歩道の信号が変わるのをじっと待っていた。

週末の夜ということもあって、信号待ちの間に横断歩道に人が集まってきた。地方ながらも県内で一番大きな駅のすぐそばなので見慣れた光景だった。観光客も多いので通勤時に道を訊かれることもよくある。こちらをチラチラ見てから「すみません」と斜め前で信号待ちをしていた人に声をかけられたときも、道を訊かれるんだろうなと思っていた。けど、違った。

「東京から来たんですが、これから飲みに行きませんか?」眼鏡をかけた30代半ばくらいに見える男性から、そう言われた瞬間に自分の顔が強張ったのがわかった。少し遅れて背中がすうっと冷たくなる感覚がくる。必死に失礼すぎない断り文句を猛スピードで探して、「明日も仕事なので、すみません」と事実を伝えれば十分なことを思い出した。そうだ。世間が休みの日に仕事がある会社に勤めているのだから。

ありのままの事実を伝えているうちに信号が変わり、私も相手も同じ方向へ歩き出したことに少し焦ったけれど「そうなんですねー。旅行中なんですけど、この辺のお店分からなくて、よかったらと思ったんですが・・しょうがないですよね。じゃあホテルこっちなんで、おやすみなさーい」とあっさり道を曲がって行ったので、ほっとした。

 

これまでの人生で、ほとんど顔を褒められることもなければ、顔のせいでいじめられたこともおそらくない。きっと道を尋ねやすい、良くも悪くも平凡な顔なのだと思う。体型のことも含めて考えると、ちやほやされるような外見でないだろう自覚はある。でもなぜかたまにこういうことがある。ちなみに「東京から来たんですけど」で始めるものはこれで3回目。たかがナンパ、それなのに足元を見られているような気持ちになるのは何でだろう。

2年前の夏、「出張で東京から来たんですけど」と言ってきた人は薄暮時に駅構内でべたべた上腕を触ってきて、初対面で面と向かって堂々と触ってくるなんて頭がおかしいんじゃないだろうかとパニックになりかけながら、最終的に小走りで逃げた。1年前の夏には「転勤で東京から越してきたばかり」だと言う人に朝の駅前で話しかけられ、出勤途中だと告げても「仕事が終わったら電話したいから連絡先を教えてくれ」と食い下がるので、刺激しないよう丁寧に断り続けて、何とか会社に着く前にさよならできた。

「知らない人についていくこと」の前提として「東京から来ました」云々は関係ないが、特定の地域から来た人が続くと「田舎者の冴えない女なら引っかかるだろう」と見下されているような気がしてしまう。卑屈な思考だとしても、事実でないとは言い切れない。

 

自分の好きになる人にこちらを見てもらえないのは誰のせいでもなくわたしのせいだが、認めてもらいたい人に見向きもされない自分が知らない誰かに値踏みされた気持ちになるとき、やりきれない悔しさでいっぱいになってしまう。

だから、そんなときは自分の胸と背中に貼り紙をしておきたくなるのだ。「わたしは見た通りの外見に加え、収入に余裕もなければ貯金も大してありませんので、どうか放っておいてください」と、大袈裟すぎるくらいに貼っておけばよかったと、何かが起きてから思う。

実際に行動に移す気はないけれど、後から思い返す時間ばかり長くなり、抵抗したい気持ちが増幅して余計苦く感じる。

誰を責めればいいかわからないことに、出口はない。