ときどき考える、ときどき日記

アラサー社畜(会社員)がこれからの人生について考えたり、日記を書いています

わかってたら、そうはしなかった

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こうなると最初からわかっていたら。
そんなことばかり考えてしまう。
 
学歴が何よりも大事だとわかっていたらもっと必死に勉強したし、 なりたい職業についてもお金持ちになれないのだとわかっていたら手堅い就職活動をしていただろう。今の会社の待遇がこんなものだとわかっていたら、絶対入社しなかったのに。
 
自分の選択には表と裏があるということはわかっていても、選択したものの裏側について自覚できるようになるのは、選択してからずっと後のことになってしまう。
もちろん、裏側だけではない。例えるなら、選択肢は多面体だ。
想定できるメリット、デメリットのほかに、想定していなかったそれらが持つ面もある。選択決定後は想定していなかったことの多さや幅広さに一喜一憂し、振り回されるものだ。
 
お金持ちにはなれなかったけれど、仕事で美しいものをたくさん見る機会に恵まれたし、自分も美しいものを作りたいと思ったこともある。いろんなチャンスをもらい、それでも才能に限界を感じたこともある。いまの仕事は報われないことが多く感じるけれど、お客様とのやりとりは楽しい。親しくしてくれる方もいるし、ありがたいお言葉を頂くことも少なくない。そういう経験の多面体でできている。それぞれの面の大きさは等しくない。ダイヤモンドカットのように均衡のとれた美しい多面体で、一番大きな面がポジティブな要素であれたら、と思うけれどなかなかそうもいかない。
 
つまらないと思うかもしれないけれど、ある程度の結果が見えているほうが選択肢としては選びやすい。失敗しない。
失敗を恐れるあまり自分で考えて行動できない若い社員を見ると、ため息が出るのに、本当はわたしだって大して変わらない。失敗してみないとわからないことだらけだとわかっていても、失敗なんてしたくない。大人になったら傷つくことに鈍感になれるわけではないと気づけたからだ。
 
いつかだめになるとわかっていても、性懲りも無く誰かを好きになったりする。好きになると「無理かもしれない」と思っているのに、いつの間にか「終わりなんてない」と思い込んでいるのだ。だめになるとわかっていたら、わたしの選ぶ言葉は、もっと違っていただろうか。そうすれば、終わりは来なかっただろうか。
 
いくつになっても虚しさや寂しさが募る生活を送るのだとわかっていたら、大人になったばかりの頃のわたしは、一体何ができただろう。