ときどき考える、ときどき日記

アラサー社畜(会社員)がこれからの人生について考えたり、日記を書いています

難儀な身体と心、そして装備

1ヶ月で3kg痩せた成果を何とか保てていると、久しぶりに会った人に「痩せた?」「痩せましたよね?」と言われることが何度かあった。そういうときは単純に嬉しく、続けるモチベーションになったりする。

昨日も途中まではそうだった。年始の挨拶以来会っていなかった取引業者さん(男性)に会い「痩せました!?顔が細くなってる!!」と言われた。「そうなんです」と顔がほころんでしまったところで「でも女性ってよく『胸から痩せる』とか言いますけど、そんなこともないんですかねー、どうですか?」と笑顔で聞き返され、若干引きつりながらも「いやー、最近測ってないのでわからないですね・・・」と考えてしまった。即座に隣にいた女性の先輩社員に「あっさりセクハラしないでください!」と言ってもらえたので、セクハラについてはそれ以上悶々としなかったのだが、取引業者さんにそう言われてどうしても気になったことがあり、そわそわしながら終業まで働いた。

帰り道、早速駅ビルに寄った。もちろん、下着を買うため、いや、下着のサイズを測るためだ。セクハラ半分の質問へ返事をした通り、最近測っていなかった。半年くらいは実店舗で買っていないはず。去年の後半は欲しいものを店舗で探すことを諦めて、ワコールのウェブショップで買うことにしていたからだ。それで良いと思っていた。でも確かに3kg痩せたなら下着のサイズが変わっているかもしれない、その気持ちに駆られた。気になってしょうがなかった。

結果として、痩せてもサイズは変わっていなかった。アンダーが1cm小さくなっていたけれど、カップは変わりなし。小さくなっていてほしかったのに、とがっかりした。それくらい下着を買いに行くと毎回「自分には下着を選ぶ権利がない」と思わされる。あと1サイズ小さくなれば、お店の中にある8割のデザインから選ぶことができるのに、いまの自分のサイズでは3種類からしか選べない。しかも全然かわいくない。主観だけど下着単体でかわいいのは、せいぜいDカップくらいまでだ。

それに、サイズが上がると価格が上がる。同じデザインでも、2段階か3段階で価格が変わってくるのだ。どうしても解せない。たとえ価格差が300円程度だとしても、自分のサイズを見ると一番安いものと600〜700円違ったりする。なぜなのか…洋服はS・M・Lでも価格が変わらないのに、小さな布切れで600円も差をつけられるとたまらない。所得税じゃないんだから、大きな人に潤沢な資金があるわけではない。

あと、圧倒的に大きなサイズの下着はそれ単体としてかわいくない。デザインとして破綻しているような気分になることもある。リボンやレースでできたお花のモチーフが、サイズが大きくなることで大きくなるわけではないので、置いてきぼりみたいに見える。これは下着に限った話ではなくて、靴でも同じ違和感をよく感じる。わたしは靴のサイズもまた大きく、25〜25.5cmだ。まあ靴はサイズが23cmでも25cmでも価格が変わらないので、やはり下着のほうががっかり感はあるのだ。下着の商品化にどんな工程や材料のしがらみがあるのか分からないので、安くしろとは言えない部分もある。ただ、もう少しだけ選択肢があれば嬉しい。買いに行くと数少ないデザインの欲しい色が売り切れているなんてしょっちゅうだ。

結局、羨ましいのだ。胸だけの話ではない。わたしは30歳近くにもなって、身長158cmで体重45kgの体になれなかったことをまだ悔しんでいるところがある。どこもかしこも大きなことを。小さくてかわいいことがあっても、その逆がないことを。人並みのサイズに生まれてきたかった。体が小さくて悩む人もいるのはわかっているけれど、「背が高くていいよね〜」と言う側に回りたかった。なれなかった側に。顔も体の大きさもかわいくもないのに、胸が大きいだけでセクハラされる体になんてなりたくなかった。

いろんな気持ちをまとめようともしないでごちゃ混ぜにして書いてしまった。我ながらひねくれていてねじ曲がりがひどい。認めて生きていくしかないこともわかっている。だから、せめて痩せたくて、痩せて胸が少しだけでも小さくなることを期待している。自分好きになるというより、自分を認めやすくなりたい。