第21回島清恋愛文学賞受賞作・島本理生 著「Red」
Red(赤)というタイトルから最初に連想したものは、血液。赤ちゃん。信号の赤やレッドカードのように警告的な意味合いの色でもある。また、公共施設のトイレ等、女性を示すサインが赤色であることも多い。炎のイメージや、情熱の色としてのイメージも強い。
わたしは島本理生さんの小説が大好きだ。書籍になっているものはほとんど持っていて、何度も何度も読み返している。どの作品も、情景が色味や湿度を含み、繊細で控えめな文章が思いがけない熱量を与えてくれる。何より、いつも作品に出てくる食べものがとても美味しそうなのだ。食べものが美味しそうだなんて、知性のかけらもない感想で恥ずかしいが、これが無い小説は寂しいと思う。島本さんの作品の魅力をうまく表現できないことも悔しいが、本題へ戻ろう。
三年間もセックスレスじゃなかったら―大人の恋愛と官能の世界。妻、母を生きる女が一線を越えるとき、そこにはどんな世界が待っているのか―。充実した毎日を送っていたはずの女は、かつての恋人と再会し、激しく身体を重ねた記憶に導かれるように快楽の世界へと足を踏み入れていく。島本理生が官能の世界に初めて挑む!
この説明文だけを読むと、どれだけセンセーショナルで官能的な小説なのかと思ってしまう。けれど読了後に「大人の恋愛と官能の世界」「快楽の世界」なんて言葉は浮かばなかった。「誰も助けてはくれない」「戦い」。代わりにこんな言葉が浮かんできた。
物語は30歳を過ぎた既婚で子どものいる専業主婦の女性が、20歳のときの恋人に再会するところから始まる。「申し分のない」と周囲から評価される夫と義理の両親と同じ家に住む彼女は、手に入れた安定を疑っていなかった。しかし元恋人の会社で仕事を始めることになり、元恋人との関係もまた、始まってしまう。仕事を始めた主人公は、次第に家族との間や社会に躓きや綻びを感じ、自分の存在価値に疑問を感じていく。
確かに、官能的な表現は序盤から終盤までの間に何度もあるのだが、不倫や大人の恋愛がメインテーマだと言われるとわたしはそうではないと言いたくなる。自分の頭で考えているようには見えない夫、友達のようでいてお互い遠慮しているだけの姑、子育てと仕事の両立、社会が求める女性像、それら全てとの関係性に悩みながらも「女扱い」に飢える自分。苦しさが所々に散りばめられている。
どんなに高尚な本を読んだり複雑なシステムについて学んでも、一番身近なコンビニの棚は、愛されだのモテだの婚活だの不妊治療だのの文字で埋め尽くされていて、仕事の悩み特集は大半が白黒ページで、外見も所作も内面もすべて美しくなってモテたり結婚したりするためのカラーページの影なのだ。
愛とは見返りを求めないこと、純粋に与える愛情こそ美しい。そんな文句は、あくまで国の象徴のように生かしながら、その実、結局は「愛する」だけじゃだめで、「愛され」なきゃ意味がない、と堂々と主張している。そんな世論を嫌悪しながらも、その通りだと思った。愛するだけじゃだめ。愛されたい。そして自分はほかの同性よりも魅力的だと錯覚したい。
鞍田さんの言った通りだ。
幸福がなにかなんて、ずっと分からなかった。だから世間的に価値があると言われているものばかりを集めた。
いちばん突き刺さったのがこの部分だ。苦しかった。普段生活しているなかで不意に感じる生き辛さを言い当てられてしまう気持ちになった。「愛され」なんて鼻で笑いたいのに、「愛されたい」から無視出来ない気持ち。人並みの幸せや理想に捉われない生き方を尊く感じるけれど、目に見えて人に伝わりやすい幸せや承認が欲しいのだ。
装丁のデザインは華奢な女性が、背中へブラジャーのホックを持った手を回している。ドキッとするデザインだ。でもそれが何を示すのかは分からない。ブラジャーを着けようとしているのか、外そうとしているのか。性的な意味を直接表しているのか、何かからの「解放」を意味しているようにも見える。脱ぐことも着ることも、全部自分が決めることだ。結婚も出産もしていないが、生きることを諦めずに切り拓いていく力を、わたしも身につけていきたいと思った。